▼ 25 海竜ネプト
重々しい空気が全体の雰囲気を暗くしている。小人の村を抜け辿り着いた、バイキング達のアジト。どうやら近海に、海の男としての生業を脅かす存在があるという。
時折轟く砲撃音。射程距離はさほど伸びず、目標までは届いていないようだ。重たい鉄の塊が海面に接触する度、激しく飛沫が跳ね上がる。
この事態に頭を悩ませるバイキング達の頭領は光の戦士一行を迎え入れ、事の顛末を聞かせてくれた。
海竜ネプト。本来は海の守り神として崇められていた海竜が、外海との境目になっている岬を拠点に暴れていると言う。
何故そのような事になったのか、きっかけは例の大地震。それを境に暴れ出したと情報があった。自ら姿を現す事すら稀だとされる海竜は、人間を襲う事など無いと伝えられていたのにもかかわらず、だ。
討伐に出向こうと考えた事もあるようだが、相手は自我を失ってしまっているとはいえ、神。仮に倒せたとして、統率を取る者がいなければその後の海が荒れてしまう可能性が考えられる。
ならばどうしたら良いのか、最善の策が全く思い浮かばない。それが、身体が弱ってしまう程に頭領を悩ませている頭痛の種だった。
唯一無傷で残った船は、海竜を怖がって誰も乗らなくなってしまったと言う。海の男が聞いて呆れる、そう嘆く男達も少なくなかった。
「暴れ海竜をなんとかしてくれたら、自慢の船エンタープライズをおまえ達にあげてもいいぜ!」
余程堪えているのだろう、ネプトの怒りを鎮める事が出来れば、エンタープライズと名付けられた一隻の船を譲渡してくれるとまで言っている。
どちらにせよ、これ以上は陸路で進めない。船が手に入るのは素直に有り難いが、疲弊しきった彼等を見ていたらなんとかしてあげたいと思うのも本心であり。
依頼を引き受け、今や暴れ海竜となってしまったネプト竜を奉っていると言われる北の神殿までやってきた。
シンと静まる神聖な空気の中に、どこか禍々しいものを感じる。見れば神殿の奥に鎮座する、竜を模した像から邪悪なオーラが滲み溢れていた。
「ネプト竜の像だ…片方の目がなくなっている…」
ルーネスの呟いた言葉通り、左目にあたる部分が暗く窪んでいた。右目にあたる部分にはめ込まれた宝石が、片割れを失った事を嘆くように、きらりと哀しげな光を放っている。
邪悪なオーラは侵入者を誘うようにぽっかりと空いた口の部分、そこから漂ってきているようだ。ネプト竜の像を注意深く調べていたアルクゥが、何かに気が付いたのか声を上げた。
「奥へと小さな穴が続いているね。小人になれば入れるかな!?」
「本当だね。ここの他に異変は見当たらないし、小人になって行ってみよう?」
「それならわたしとルーネスはこのままだと役に立てそうにないわね…」
「トーザスの抜け道でオレ達は全く戦力にならなかったからな…」
「ははっ、本当になー」
「デッシュに言われるとなんか腹立つわね…もう!」
バイキングのアジトに辿り着く前の話だ。トーザスと呼ばれる小人達の村からこちら側へ渡るには、村にある抜け道を通るしか方法はなかった。
小人になってみて分かった事、それは魔法や道具以外では全くといって良いほど魔物にダメージを与える事が出来なかった、戦士系ジョブの無力さ。
普段であれば前線で魔物を斬り伏せているルーネスとレフィアが、後衛に下がりサポートに徹する事態となってしまっていた。
光の戦士ではないデッシュは雷撃の中級魔法を会得しているため、心配はない。一人で旅をしていたのも頷ける程、戦闘能力は比較的高い。
「ならば二人は一時的に、黒の魔法を使えるジョブになれば良い。付け焼き刃でも案外なんとかなるものだ」
幸い黒魔法のオーブは人数分あるからな、言いながらイングズはオーブをいくつか取り出し、魔法に自信のなさそうな二人に手渡した。
イングズは皆のお兄さんみたいだ。備え在れば憂いなし、こんな事もあろうかと、しっかりと先を見据えて準備している。
ジョブを変更しオーブを受け取った二人は、頭に流れ込んでくる詠唱のための呪文を必死に覚えようとしている。その様子が初期の頃の自分を彷彿とさせ、ユウリとアルクゥは顔を見合わせて微笑んだ。
本来なら少し経験を積まなければ最大限の力は出せないのだが、この際それは考えない事にしよう。戦士系のジョブで特攻するよりは遙かに有効なのだから。
小人になると、今まで見ていた景色がまるで嘘だったかのように変化する。道端に落ちている石すらも大きな障害物になるのだ。
正面から覗き込めた穴も、登ってから入り込まなければならない。なかなかに体力を使ったが、入ってしまえば、少々入り組んではいるが続く道は平坦だった。
最深部だと思しき小部屋に、きらりと光る物がある。もしや失ってしまった竜の左目だろうか。近付いてみると、その宝石を大事そうに守る、一匹の大きなネズミ。
「チュウ!この宝石はだれにもわたさない!」
渡さないと言われても、それは元々ネプト竜のものだ。返してもらわなければ、暴れ狂う海竜を鎮める事は出来ない。
襲いかかってくる大ネズミを大人しくさせるため、魔法で総攻撃を仕掛けた。全員が遠距離から放てるため、比較的安全に戦えている。
とは言え相手はネズミ。すばしっこくちょこまか動き回られ、魔法初心者のルーネスとレフィアは上手く標準を合わせられないようだ。
「やっぱり魔法より剣で戦う方が性に合ってるな…」
「わたしも…」
大ネズミから降参を言い渡され、左目の宝石を返してもらった後。二人は自身の魔法適性の無さに苦笑を零していた。
「今回みたいな事は、そうそう無いと思うから大丈夫だよ」
戦意を喪失させるとどめの一撃を食らわせたアルクゥが二人の様子に気付き、微笑い掛ける。
今回に限っては、魔法職の方が先陣を切って進めた。臨機応変に態勢を取っていかなければならないと分かったのは、得られた大きな教訓である。
神殿の入口へ戻ってきた六人は、ネプト竜の像を前にひとつ息をついた。これで怒りが静まれば良いのだが…祈るようにそっと左目を嵌め込むと、片割れの帰りを待っていたかのように、力強く光を放つ対を為す眼。
───ありがとう 光の戦士たち
我は海竜ネプト
宝石を戻してくれた事、礼を言う
この宝石は私の心
失われてしまえば竜そのものだけが残り、暴れるしかなかったのだ…
おかげで再びこの地に眠り、水を守ることができる…
しかし水はその光を失ってしまった
何者かが大地震を引き起こし、光を地中深く封じたのだ
光の戦士よ。行く手を阻むものを水の力で打ち砕く、水の牙を授けよう
頼む。光を取り戻してくれ…
聞こえてきたのは、海神の姿へ戻ったネプトの声。もしや今回の事件はネズミの悪戯が引き起こしたものなのか、とも思ったが、そうではなかった。
大地震。各地で起こっている様々な現況は、やはりこれに関係しているのだろう。ネプトの言葉を聞く限り、直結していると考えても過言ではない。
誰が、何の目的で。いや、地震は災害に分類される。そういった効果の魔法も存在するが、それとは規模が違いすぎる。故意に引き起こせるものなのだろうか。クリスタルを地中へ封じるとは、一体。
言葉通りの意味だとしても、全てを把握するのには、未だ分からない事が多すぎる。ルーネスが思考を巡らせていると、すぐ隣から柔らかな声が掛かった。
「これでバイキングさん達も安心だね」
これからの航海の無事を祈っているのだろうか。手を合わせて瞳を閉じるユウリを見て、ルーネスも少々険しくなっていた表情を崩した。
「…ああ、そうだな」
水は光を失ってしまった───その言葉が引っかかるが、何にしろ、これで約束した船が手に入る。ユウリに倣(なら)い、他の面々も手を合わせ竜神へ祈りを捧げた。
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